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仙台地方裁判所 昭和42年(わ)120号 判決 1973年3月29日

主文

被告人奥山紀一を罰金三万円に、被告人中島芳正を罰金二万五、〇〇〇円に、被告人鈴木喜次郎を罰金四万円に、被告人後藤昌男を罰金二万円に、被告人小原春治、同堀江清治、同三瓶典夫、同佐々木毅、同渡辺正、同斎藤巌をいずれも罰金三、〇〇〇円にそれぞれ処する。

右被告人らにおいて右各罰金を完納することができないときは、いずれも金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

被告人奥山紀一、同中島芳正、同鈴木喜次郎、同後藤昌男につき、公職選挙法第二五二条第一項所定の選挙権および被選挙権を有しない期間をいずれも一年に短縮し、被告人小原春治、同堀江清治、同三瓶典夫、同佐々木毅、同渡辺正、同斎藤巌については、公職選挙法第二五二条第一項の選挙権および被選挙権を有しない旨の規定をいずれも適用しない。

訴訟費用中、証人山口正雄(第一二回公判期日)、同熊坂進、同千葉重一、同庄司隆、同金静子、同菊地文子、同高橋清志、同相原五三郎、同高橋渉に支給した分は被告人奥山紀一、同中島芳正、同鈴木喜次郎の、証人高橋泰志に支給した分は、被告人後藤昌男、同鈴木久一を除くその余の各被告人の、証人永野正雄(第一三回公判期日)、同松本隆一、同熱海昭に支給した分は、被告人奥山紀一、同中島芳正、同鈴木久一を除くその余の各被告人の、証人清野高正、同松本健二、同牛田義治、同橘川文吉、同坊沢とみ、同佐藤登美子に支給した分は、被告人鈴木喜次郎、同小原春治、同堀江清治、同三瓶典夫、同佐々木毅、同渡辺正、同斎藤巌の、各連帯負担とし、証人伏田隆、同横山ます江、同阿部政子、同我妻いとに支給した分は被告人後藤昌男の負担とし、その余の各証人(証人山口正雄(第二四回公判期日)、証人永野正雄(第三四回公判期日)を含む。)に支給した分はいずれも被告人鈴木久一を除く各被告人の連帯負担とする。

被告人鈴木久一は無罪。

理由

(本件犯行に至る経緯)

仙台市役所労働組合連合会(以下「市労連」と略称する)は、仙台市職員労働組合(以下「市職労」と略称する)、仙台交通労働組合(以下「仙交労」と略称する)、仙台市水道労働組合(以下「仙水労」と略称する)等六単位組合の連合体であり、仙台市に勤務する職員のうち大多数の者が各単位組合を通してこれに加入しているものであるが、昭和四二年一月上旬ころ、同月二九日施行の衆議院議員選挙における宮城県第一区の候補者日本社会党委員長の佐々木更三を市労連の推せん候補者として決定し、その旨をその機関紙「市労連」等により、傘下の組合員およびその家族に周知させるとともに、同候補者の当選を図るための運動を組合員およびその家族等に対し行なつていたものである。

(罪となるべき事実)

第一  被告人奥山紀一は宮城県議会議員、日本社会党仙台総支部書記長の地位にあつた者、被告人中島芳正は市職労中央執行委員長、市労連副執行委員長の地位にあつた者、被告人鈴木喜次郎は、仙交労執行委員長、市労連副執行委員長の地位にあつた者であるが、いずれも共謀のうえ、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に際し、宮城県第一区から立候補した佐々木更三に当選を得しめる目的をもつて、同月二三日午前九時ころ、仙台市の所有する同市国分町三丁目七番一号、仙台市役所庁舎内民生局市民課において、前記選挙区の多数の選挙人を含む千葉重一ほか四〇数名の市民課職員に対し、被告人奥山において、「今回の選挙は黒い霧による解散選挙である。佐々木委員長は現在全国遊説のため来仙できないでいるが、佐々木委員長をよろしくお願いする。」旨演説し、もつて、地方公共団体である仙台市の所有する建物内において、同候補者の選挙運動のためにする演説を行なつた

第二(一)  被告人後藤昌男は、仙交労副委員長、市労連書記長の地位にあつた者であるが、前記第一記載の目的をもつて、同月二七日午前一一時五〇分ころ、宮城県の所有する仙台市川内地内宮城県スポーツセンター建物内において、かねてからの企画にもとづきたまたま当日開催された仙台市職員家族慰安会午前の部の席上で、前記選挙区の多数の選挙人を含む、同職員およびその家族を主とする阿部政子ほか約六、〇〇〇名の入場者に対し、市労連委員長代理として挨拶した際、「市労連では、今度の選挙に社会党の佐々木委員長を推せんしているので、皆さん佐々木委員長をよろしくお願いする。」旨の演説をし、

(二)  被告人鈴木喜次郎は、右同様の目的をもつて、同日午後三時ころ、右同所において、右家族慰安会午後の部の席上で、前記選挙区の多数の選挙人を含む、同職員およびその家族を主とする松本健二ほか約五、〇〇〇名の入場者に対し、市労連委員長代理として挨拶した際、右と同趣旨の演説をし、もつて、いずれも地方公共団体である宮城県の所有する建物内において、同候補者の選挙運動のためにする演説を行なつた。

第三  被告人小原春治は、市職労中央執行委員、同堀江清治は、仙交労書記長、同三瓶典夫は仙交労執行委員、市労連執行委員、同佐々木毅は市職労組合員、同渡辺正、同斎藤巌はいずれも市職労中央執行委員の地位にあつた者であるが、いずれも共謀のうえ、前記第一記載の目的をもつて、同日午後二時ころから同三時ころまでの間、右スポーツセンター建物付近において、右慰安会午後の部に入場しようとしていたところの、前記選挙区の多数の選挙人を含む仙台市職員およびその家族を主とする松本健二外約五、〇〇〇名に対し、「1月29日は衆議院議員の投票日です。忘れずに投票しましよう」「私たちの一票で腐敗と汚職の黒い霧を追払おう!!」との見出しを付したうえ、本文中前段において、今回の総選挙が腐敗と汚職にまみれた黒い霧を一掃するためのものである旨印刷記載し、後段において棄権防止を呼びかけるとともに、「力強い清新な政治を築き、国民の手にとり戻すため、市労連の推せんする候補者に家族揃つて投票しましよう。」と、前記総選挙における市労連の推せん候補者佐々木更三に投票を求める趣旨の文章を含めて印刷記載した、同候補者の選挙運動のために使用する法定外文書を、各一枚ずつ計約五、〇〇〇枚を頒布した

ものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人奥山、同中島、同鈴木喜次郎の判示第一の各所為は、それぞれ、行為時においては刑法第六〇条、公職選挙法第二四三条第一〇号、第一六六条第一号に、裁判時においては刑法第六〇条、公職選挙法第二四三条第一〇号、第一六六条第一号、罰金等臨時措置法第四条に、被告人後藤の判示第二(一)の所為および被告人鈴木喜次郎の同(二)の所為は、それぞれ、行為時においては公職選挙法第二四三条第一〇号、第一六六条第一号に、裁判時においては同法第二四三条第一〇号、第一六六条第一号、罰金等臨時措置法第四条に、被告人小原、同堀江、同三瓶、同佐々木、同渡辺、同斎藤の判示第三の各所為は、行為時においては刑法第六〇条、公職選挙法第二四三条第三号、第一四二条第一項に、裁判時においては刑法第六〇条、公職選挙法第二四三条第三号、第一四二条第一項、罰金等臨時措置法第四条に各該当するところ、以上はいずれも犯罪後の法律により刑の変更があつた場合であるから、刑法第六条、第一〇条により、軽い行為時法の刑によることとし、以上の各罪につき所定刑中罰金刑を選択し、被告人鈴木喜次郎にかかる判示第一および第二(二)の罪は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四八条第二項により各罪所定の罰金額を合算し、被告人鈴木喜次郎を除く以上の各被告人についてはそれぞれの所定罰金額の範囲内で、被告人鈴木喜次郎については右合算した罰金額の範囲内で、被告人奥山を罰金三万円に、被告人中島を罰金二万五、〇〇〇円に、被告人鈴木喜次郎を罰金四万円に、被告人後藤を罰金二万円に、被告人小原、同堀江、同三瓶、同佐々木、同渡辺および同斎藤をそれぞれ罰金三、〇〇〇円に処することとし、以上の各被告人につき同法第一八条を適用して、それぞれの罰金を完納することができないときは、各金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、公職選挙法第二五二条第四項により、被告人奥山、同中島、同鈴木喜次郎、同後藤については、同条第一項所定の選挙権および被選挙権を有しない期間をいずれも一年に短縮し、被告人小原、同堀江、同三瓶、同佐々木、同渡辺、同斎藤については、同条第一項の選挙権および被選挙権を有しない旨の規定をいずれも適用しないこととし、訴訟費用については、証人伏田隆、同横山ます江、同阿部政子、同我妻いとに支給した分については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、その余の各証人に支給した分については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して、主文第四項のとおり負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

第一  公訴権濫用の主張について

弁護人らおよび被告人らは、本件公訴は、市労連の組合活動を弾圧し、革新仙台市政を破壊し、総選挙に引き続き行なわれる地方選挙において、被告人奥山らの再選挙を阻止し、革新勢力の進出を妨げる等の違法な目的を達しようとしてなされたものであり、明らかに検察官に委ねられた公訴権行使の限界を越え、公訴権の濫用にわたる違法な公訴であるから、棄却されなければならないと主張する。

およそ犯罪に対しては刑罰を科することとされている以上、犯罪が行なわれた場合には刑事訴訟手続が進められるのが本来の姿である。しかし犯罪に対しすべて刑罰を科することは、いたずらに苛酷な法執行をもたらし、国民感情にも添わず、捜査が恣意に流れないとも限らず、犯罪を犯した者の更生をも妨げることも少なくないので、刑事訴訟法は公訴権を行使すべき検察官に対し、起訴猶予処分に付する権能を賦与して、法執行における合目的性の実現を図つているのである。かように、本来刑罰を受けてもやむをえない行為につき公訴を提起しないことを認めるのであるから、訴追不訴追の裁量は不利益を緩和するための裁量として自由裁量であり、検察官の裁量が妥当を欠いた結果起訴されたというのみでは、法の下の平等保護に反することにならず、公訴提起が無効とされるものではない。しかし、法が公訴権の行使につきかような自由裁量を検察官に認めるのは、刑罰権の適切妥当な実現を図るためであつて、これを検察官の恣意に委ねる趣旨でないことはいうまでもないことであるから、右裁量の範囲外または裁量の著るしい濫用と認められるような場合、すなわち、通常起訴される事案に比べて著るしく軽微で、一見明らかに可罰的違法性を欠くか、これを欠くに等しいと認められるような事案につき、何ら起訴すべき特段の事情がないのに起訴がなされた場合、または客観的に見て通常ならば起訴猶予にされることが明らかに認められる事案につき、ことさら公訴権本来の目的と異なる不当な目的のために起訴したものと認められるときで、起訴猶予とされることの明白性の程度および不当目的の内容、程度を総合的に考慮して、公訴提起自体が著るしく不公正になされたものと認められる場合には、公訴権を濫用してなされた違法な起訴として、刑事訴訟法第三八三条第四号によりこれを棄却すべきものと解される。

そこで、本件公訴事実が通常ならば起訴猶予とされることが明らかに認められる場合であるか否かに関し、まず公訴事実第一および第二(判示第一および第二の各事実に対応するもの)について検討すると、いずれの事案も、公共の建物内での選挙演説として典型的な形態の行為であつて、労働組合の内部的教宣活動としてなされたからといつて、後に述べるように必ずしも一般市民の同様な行為に比べて保護を受けうるものとなるものでもなく、この点から既に右の場合にあたらないというべきであり、また公訴事実第三(判示第三の事実に対応するもの)については、後述のとおり、通常の選挙運動用文書に比べ、その文書の外形内容自体からすれば、軽微といわなければならないが、配布の時期、相手方等を考慮するならば、選挙運動の目的を十分に達しうる状況で行なわれ、その枚数も判示のとおり多数であり、組織を利用した行為であること、また公訴事実全部について、押収してある市労連弾圧対策委員会ニユース一綴(昭和四四年押第三一号の四二)により認められる如く、市労連の内部組合員の間で捜査不協力の方針が組織的に確立された事情もあつて、検察官としてはかような場合に処罰を免れうるものとすれば将来同様の行動が繰り返されることになるとの不安を抱いたことも窺われ、被告人の個別的事情についても被告人らの供述拒否等のため検察官において十分これを把握しえないまま行為の客観的な面を中心に起訴不起訴を決定することになつた事情も窺われるのであつて、以上によれば、本件各公訴事実につき、通常ならば起訴猶予となることが明らかに認められる場合にあたるものとはいえないというべきである。

のみならず、本件公訴が弁護人主張のような不当な意図の下になされたものか否かについて検討すると、右不当の意図の存在を証明する間接事実をつぶさに検討しても未だかような意図の存在を推認させるには到底足りないといわなければならない。すなわち、証人山室章に対する受命裁判官の尋問調書、証人池田浩三、同中村勲に対する受命裁判官の尋問調書、証人中村弘の当公判廷における供述(被告人鈴木喜次郎、同佐々木については、第三三回公判調書中同証人の供述部分、被告人堀江については、第三三回公判調書中同証人の供述部分(一)、および同証人の当公判廷における供述(第三三回公判調書中同証人の供述部分(二)として公判調書に録取されている部分))、第二八回公判調書中証人高橋治の供述部分、第二九回および第三一回各公判調書中証人庄司駒蔵の供述部分、第三〇回公判調書中証人木村章の供述部分、第三一回公判調書中証人曾根富士男の供述部分、第三二回公判調書中証人熊谷敬芳の供述部分および前掲押収してある市労連弾圧対策委員会ニユース一綴を総合すれば、以下の各事実を認めることができる。

本件各事実の捜査については、司法警察員から検察官への事件送致前に、検察官が参考人の取調べを行ない、また仙台市役所市民課の多数の職員その他の参考人に対し警察署、検察庁から任意出頭の呼出状が送られ、その後起訴前の証人尋問が行なわれた事実を認めることができるけれども、他方、右事件につき捜査が開始されたことを知った市労連内部で、参考人らに対し、任意出頭に応じないように働きかけが行なわれているとの情報により、急拠検察官が参考人らの検察官面前調書を作成するため、直接夜間その住居を訪問するなどの捜査活動をしたこと、前記のように市労連内部における被疑者、参考人の任意出頭拒否その他による捜査不協力が行なわれていたこと等の事実が認められ、そのような状況の下では、犯罪の嫌疑を抱いている捜査機関としては、それに対処するうえで右のような捜査方法を採用することはやむをえないといわなければならず、かような方法がとられたことをもつて、直ちに検察官や捜査にたずさわる警察官の不法な目的、意図を示すものということはできない。また、当時の仙台地方検察庁次席検事が起訴前証人尋問を行なうことについて新聞記者に話し、それが記事として掲載されたことは認められるが、そのことをもつて右と同様、不法な目的、意図を示すものとはいえない。

次に、被告人中島芳正宅の捜索の際、社会党機関紙の「社会新報」を任意提出させて領置した事実(中島千代作成の任意提出書、司法警察員伊東栄蔵作成の同日付領置調書)や、当時の仙台中央警察署長が、市労連関係者等の抗議を受けた際、社会新報は犯罪を構成する物件である旨述べたことは認められるが前者は違法なものとはいえず、ましてや不法な弾圧意図を窺わせるものではなく、後者は抗議行動の際の応酬の中でたまたまかような発言があつたからといつて、それをもつて、不法な弾圧意図の表明とは直ちに見難いうえ、すぐその後で、訂正されているところから言い違いとも見られるものである。

さらに、同署長が昭和四二年二月一八日被告人らが任意出頭に応じないため、前記曾根富士男らに対し、現在逮捕状をとりに行つているから逮捕を避けたいなら任意出頭させるように告げ、かつ逮捕状は被告人奥山、同中島につき却下されたほかは発付された事実を認めることができる(本件記録中の被告人らに対する逮捕状添付の逮捕請求書により明らかである。)が、同署長としては右時点では逮捕状が全員に対して発付されるものと考えていたと解されるのであつて、弁護人らの主張するように既に却下された被疑者もいたことを知りながら詐言を用いて任意出頭を強要したものとまでは認めることはできない。

また、本件起訴の前日における被告人ら(同斎藤を除く)の逮捕については、弁護人らは逮捕状請求の理由に逃亡のおそれが益々増大した旨の虚偽の理由を付して請求したものと主張するが、罪証隠滅のおそれをも理由とする請求であるうえ(前記各逮捕状請求書により明らかである。)、逮捕の必要性が明らかに認められない場合でない限り逮捕状は発付すべきものとされていること(刑事訴訟規則第一四三条の三)に照らし、逃亡のおそれ、罰証隠滅のおそれが実際には存しないような場合でも、その当否は別として、逮捕状が請求され、発付されることがありうることは否定できず、かような実情にかんがみれば、本件では、任意出頭に応じない状態が続いたことなどを考慮すると、逮捕がなされたことが、不当な弾圧意図を示すものとみられる程異例なものとはいいがたく、また統一地方選挙に立候補が予定されている被告人奥山、同鈴木喜次郎両名についてもその告示の前々日に逮捕がなされ、その翌日である告示前日に起訴がなされたことも認められるが、検察官としては右選挙の告示前に本件の事件処理を終える方針の下に捜査を進めていたものであり、選挙期間中の起訴は選挙妨害にもなりかねず避けるべきであるとの配慮をしたものというのであつて、ことさら被告人奥山らの選挙妨害をする意思があつたものとは窺われない。また、被告人奥山を逮捕し起訴したのは、統一地方選挙において、自由民主党の現職の県会議員の買収事件とのバランスを図つた旨、次席検事が本件起訴時のころ言明したと主張するが、かかる趣旨の発言がなかつたとはいい切れないにせよ、専らその目的だけで起訴する趣旨の発言では到底ありえないと認められ、また検察官が専ら右の如きバランスを図る意図の下にことさらに本件起訴に及んだ旨の疑いを生じさせるに足る証拠もない。

さらに、第一三回公判調書中証人高橋泰志の供述部分、第一四回公判調書中証人松本隆一の供述部分、第一五回公判調書中証人川村景三、同熱海昭、同清野高正の各供述部分、および司法警察員作成の写真撮影報告書を総合すれば、公訴事実第二(二)および第三(判示第二(二)および第三に対応する。)について、警察官は予め本件法定外文書の内容を知悉しておりながら、制止等の措置をとることなく、犯行状況の写真を撮影して証拠収集につとめたこと、および予め入手していた入場券を使用して、スポーツセンター内での挨拶の状況などの捜査にあたつたことは、いずれもこれを認めることができるが、組織的犯罪の疑いをもつていた捜査当局としては、かような方法で捜査を進めることも許されないわけではなく、また入場券については、市職員やその家族から譲り受ければ一般市民も入場しうるものであるから、これを用いて入場したからといつて、許されないものではないばかりか、これをもつて不当弾圧の意思によるものとは解することはできない。その他の諸点を検討しても、弁護人の主張する不当な目的の下に本件公訴が提起されたことを窺うに足る事実を見出すことができず、また本件起訴に関係する検察官らはいずれもこれを明白に否定しているのであり、本件が公訴権を濫用してなされた起訴であることは、証拠上到底これを認めることができないものといわなければならない。よつてこの点についての弁護人らおよび被告人らの主張は理由がない。

第二  本件文書が公職選挙法第一四二条の禁止する文書に該当しないとの主張について

弁護人は、本件チラシには、「市労連の推せんする候補者に投票しましよう」と記載されているのみで、文書の外形内容自体から候補者が誰であるかを推知しえないから、候補者の特定を欠き、また、あくまで棄権防止の趣旨を眼目とする文書であるから、公職選挙法第一四二条の選挙運動のために使用する文書にはあたらないと主張する。ところで、同条にいう選挙運動のために使用する文書とは、文書の外形内容自体から見て選挙運動のために使用すると推知されうるものでなければならず、またその選挙運動において支持されている候補者は、特定されていなければならないが、文書自体には候補者の氏名等の記載がなく、その氏名までは文書自体から知ることができなくても、候補者の特定を推知しうる何らかの記載があり、その文書の頒布を受ける主たる者が、一定の組織に所属するとか、一定の地域に居住する等の特殊性を有することにより、または頒布の時期、場所等を考慮に入れることにより、右記載自体から頒布を受ける者においてその候補者が誰であるかを推知しうる状況においてその文書が頒布される場合は、かような文書も選挙運動のために使用する文書にあたるものと解するのが相当である。本件においては、「市労連の推せんする候補者」の文言により候補者の特定がなされ、昭和四二年一月二九日の衆議院議員の総選挙において市労連の推せんする候補者は宮城県第一区の佐々木更三候補一名であり、かつ、頒布を受けた者は、主として仙台市の職員およびその家族であり、市労連の推せんする候補者が誰であるかを既に知つているか、または容易にこれを知りうる立場にある者と認められるから、本件チラシを選挙運動のため、特定候補者の当選を図るために使用する文書にあたると解するにつき、何ら妨げはない。また証拠の標目欄掲記の各チラシによれば、本件チラシには、見出しとして「1月29日は衆議院議員の投票日です 忘れずに投票しましよう」「私たちの一票で腐敗と汚職の黒い霧を追払おう!!」と記載され、二一行より成る本文の前段において今回の総選挙の意義を説き、後段において棄権しないようよびかけるものであり、前記投票依頼の文言はその末尾四行目から三行目にかけて記載されているにとどまるものであつて、文書の外形内容自体からは、主として棄権防止を目的とする趣旨の文書であることは認められるが、本件チラシが右投票依頼文言を含むものである以上は、それが文書の主たる目的であると従たる目的であるとを問わず、選挙運動のために使用する文書にあたるといわなければならない。よつて、弁護人の以上の主張は採用することができない。

第三  労働組合の教宣活動としてなされた正当行為であるとの主張について

弁護人らおよび被告人らは、本件各行為は、いずれも労働組合の正当な教宣活動としてなされたものであり、労働者の経済的、社会的地位の向上を図るという目的を達成するための手段として公職の選挙における候補者の推せんを決定し、それを組織内部に周知徹底するための広報活動を行なうことは、組合活動の一態様であり、なお判示第一の事実については、我国においては、時間内職場オルグ活動の慣行が存在し、これにより本件では職場である市役所庁舎内において勤務時間内に組合教宣活動をすることが許されていたというべきであり、また判示第二および第三の各事実については、市労連の組合員のみならず、その家族をも対象として含むものではあるが、組合員の社会的、経済的地位の向上は、その家族にとつても密接な利害関係を有するから、組合員およびその家族は一体のものとしてとらえられるべきであり、したがつて、いずれも憲法第二八条の保障する団結権等の範囲内に属する正当な行為であると主張する。

しかし、判示の各所為は、そもそも弁護人主張のように労働組合における公職の選挙の候補者の推せん決定をその組合員に対し周知徹底させる行為ではなく、候補者への投票を呼びかける行為として、公職選挙法第一四二条、第一六六条にいう選挙運動に該当する行為である。そして、地方公務員法第三六条第二項第一号は、かような選挙運動を地方公務員に禁ずる規定であるが、ただ、国民に対し憲法上保障される政治的自由の保障との関係において、どの範囲の地方公務員のいかなる態様の行為が右禁止に触れるかについては判例上明らかであるとはいえず(ただし右規定につき刑事罰を科する規定は存しない。)、また、公務員についても労働基本権の制約は必要最少限度にとどめられなければならない関係上、公務員の職員組合が選挙運動を組合の内部活動として行なう場合には、さらに違法とされない範囲が拡げられる可能性もないわけではない。

しかし、本件では、さしあたつてかような問題に立ち入ることなく、公務員としての制約を有しない一般の労働組合の組合活動としてなされる選挙運動が、公職選挙法の規定に触れる場合に、その組合活動としての性格のゆえに正当行為として違法性を阻却されるかどうかを一般的に検討し、もし、一般の労働組合の組合活動としても公職選挙法の当該規定の適用を免れないとすれば、公務員の職員組合についても一層強い理由で、右規定の適用を受けるべきものとされるため、右の点の検討で足りることとなるからである。

労働組合も労働者の経済的地位の向上を図る目的をより十分に達成するための手段として、その目的達成に必要な政治活動を行なうことを妨げられず、その趣旨からして、国会議員の候補者の推せんをなし、そのための選挙運動をなすことは、組合活動として許されないということはできず、労働者に保障される団結権の範囲内のものといえる行為である限り、使用者からこれを理由として不利益処分を受けることはなく、また国もこれらの組合活動を妨げてはならず、その正当な行為を保護することが義務づけられるのである。しかし、一つの行為が市民としての行為の面と、労働基本権により本来保障される行為の面の二つの面をあわせ有する場合に、市民としての規制は同時に労働基本権の規制となるのであり、したがつて、選挙運動についての市民としての規制を定める公職選挙法の規定は、労働組合の内部的組合活動としてなされる選挙運動につき、必ずしも直ちに適用できるものでなく、市民としての行為の面の規制によつて得られる利益と、それが労働基本権を制約する面を帯びることとなる害悪とを比較衡量し、その両者の適切な調整の見地から判断してゆく必要がある。

しかし、代表民主制の下における公職の選挙は、あくまでも各人が平等であることを保障されなければならず(憲法第一五条第三項、第一四条)、経済的には使用者より弱い地位にある労働者も、政治的には法の下に平等の保障を受けており、選挙に関しても同様であり、この点からすれば、労働組合活動としてなされるものであつても、一般国民と平等の制約の下におかれるべき必要性は極めて高いといわなければならない。他方で、労働基本権は本来、使用者に対する交渉において、使用者と対等の地位に立ちうるようにする目的で、使用者の市民法上有する契約の自由を制約することを主眼としているものであり、政治的行動により労働者の経済的地位の向上を図ることは、労働組合の活動として許されるものであり、その結果団結権の行使として許されるものであるにしても、それは附随的周辺的な活動にとどまるものであるのみならず、労働基本権は労働者またはその団結体としての労働組合に政治上の特権を賦与する趣旨のものではないことはいうまでもなく、それ故、労働組合の内部的組合活動としての政治活動についても、労働基本権の面から特別の保障をしなければならない必要性はそれほど存しないということができる。そうすると、両者を比較衡量すれば、原則として労働基本権は、明らかに選挙の平等の保障の要請に対して譲歩すべき地位にあるといわなければならないのである。その見地から、判示第二および第三の各事実は、仮に弁護人主張のように団結権の保障の範囲内に属するものとしても(地方公務員法上の制約、および組合員のみならず、その家族および非組合員に対する活動をも含む(のみならず一般市民も含まれる可能性も現実に存する。)ものである点で、内部的組合活動と解しうるかなど問題の存するところであるが、その点の判断には立ち入らない。)、一般国民に対する選挙運動としての規制が優先し、労働組合の内部組合員に対する教宣活動としてなされたことを理由に、正当行為として違法性が阻却されるものということはできないのである。

ただ判示第一の仙台市役所市民課における選挙演説については、さらに職員組合の活動はその職場である市役所庁舎内において平常行なわれるのであり、その点において、公職選挙法第一六六条第一号の規定の適用上、公所有、公管理の建物以外の建物内における労働組合の教宣活動としての選挙運動が、場所的な規制との関連においては不可罰とされることに照らし、公所有、公管理の建物内を職場とする者の組合活動に対し、それ以外の者の組合活動に対してより、実際上厳しく適用される結果となる点が、労働基本権の見地から問題となるが、その点を考慮してもなお、選挙運動はそれが労働者の経済的地位の向上のために関連性をもつものであつても、労働組合の本来の活動に属しないものである以上、公所有、公管理の建物における選挙運動のための演説等を禁止する必要性、すなわち、後記のように、それにより、国、地方公共団体等の選挙に関する厳正中立、およびその外観の保持による選挙の公正の確保、および公務の執行、公共施設の利用に対する妨害の排除の必要性が優先するものといわなければならないのである。したがつて、判示第一の事実についても労働組合活動としてなされた正当行為ということはできず、違法性を阻却されるものではない。よつて、弁護人らおよび被告人らの右主張はいずれも理由がない。

第四  可罰的違法性が存しないとの主張について

弁護人らは、本件各行為は、いずれもその被害の軽微性、行為の相当性にてらし、可罰的違法性がないと主張する。しかしまず判示第一および判示第二の各事実については、いずれもそれぞれの構成要件に該当する典型的な場合であつて、その保護法益に照らしても特に軽微な場合ではなく、また、労働組合に許された教宣活動としてなされたからといつて、その故をもつて行為の相当性が生ずるものでないことは既に説示した趣旨より明らかであり、そのほかの点を考慮しても、刑罰を科するに値しないほど違法性が微弱な場合にあたるとする事情を到底見出すことができない。判示第三の事実については、弁護人は、本件チラシは、棄権防止を主眼とする内容のもので、候補者の氏名の記載すらないもので、文書の内容自体、選挙運動のために使用する文書と仮にいいえても通常の選挙運動のために使用する文書に比べかような文書としての性質が弱く、また、候補者とは関係のない第三者の配布したものであつて、公職選挙法第一四二条の、候補者に多額の出費のかからないようにするという立法目的にてらしても、候補者以外の第三者の頒布である以上は何らの被害とみるべきものがなく、また労働組合の組合活動、内部的行為として行なわれたもので憲法の保障する団結権の行使としてなされたものとして、行為としても相当であり、可罰的違法性を欠くと主張する。

この点については、既に説示したように、なるほど右文書には候補者の氏名等の記載もなく一般人が文書の外形、内容自体から、候補者が誰であるかを直ちに知りえない文書であり、また棄権しないように呼びかける趣旨が強調され、そのため多数の候補者の中から、特定の候補者への投票意思を形成させようとする意図のものというよりも、むしろ、頒布を受ける者の多数が市労連の推せん候補者である佐々木更三候補に投票することが期待される状況において、棄権しないよう呼びかけてその得票を増加させようとする意図の方が強いとみられるものであつて、これらの点からすれば、候補者の氏名、写真、経歴、政見等を印刷したような典型的な法定外文書に比べれば、文書自体の違法性は軽いというべきである。

しかし、右法条は、資力の乏しい者にも立候補を可能にし、資力に富む者と比べ選挙運動に差異を生ぜしめぬようにするために、いわゆる「金のかからない選挙」を実現することによつて選挙の適正、公平を図ろうとすることを目的とし、そのために脱法的行為を防ぐ見地から第三者の文書図画の頒布をも禁ずることとなつたものと解されるのであり、第三者が頒布したことを以つて法益の侵害の程度が特に減少するということのできないばかりか、選挙運動のために使用する文書である以上、出費の点では、文書の内容如何とは無関係であり、頒布枚数も判示のように多数にのぼつていること、頒布の相手方を考慮すれば、頒布による選挙運動の目的達成の程度が決して小さいとはいえず、したがつて保護法益の侵害の程度が軽微なものということはできず、また、本件を組合活動またはこれに類する活動とみることができるとしてもその故をもつて行為の相当性が生ずるものでないことは右に述べたとおりであり、刑罰を科するに足る違法性を欠く行為ということはできないというべきである。よつて、弁護人らの右主張はいずれも採用できない。

第五  被告人らが、いずれも行為の正当性を確信していたもので犯罪が成立しないとの主張について

弁護人は、被告人らは、それぞれの行為につき、法律上禁止されるものであるとの認識を有せず、正当なものと確信していたのであるから、犯罰は成立しないと主張するが、本件の如きいわゆる法定犯についても、法律で禁止されていることを知らなかつたからといつて処罰を免れることができないと解すべきであるから、右主張は採用できない。

第六  公職選挙法第一四二条の合憲性について

一  弁護人らは、法定の通常葉書以外の選挙運動のために使用する文書図画の頒布を禁止している公職選挙法第一四二条は、表現の自由を保障する憲法第二一条に違反し、無効の規定であると主張する。

ところで公職選挙法第一四二条については、最高裁判所は、「公職の選挙につき文書図画の無制限の頒布等を許容するときは、選挙運動に不当の競争を招き、これがため、選挙の自由公正を害し、その適正公平を保障しがたいこととなるので、かような弊害を防止するために必要かつ合理的と認められる範囲において、文書図画の頒布の制限禁止等の規制を加えることは、選挙の適正公平を確保するという公共の福祉のためのやむを得ない措置であるから、かような措置を認めた公職選挙法第一四二条の規定を目して憲法第二一条に違反するものとはいえない。」旨、その合憲性を肯定する判断を累次にわたり示しているのであり(最高裁判所昭和三〇年四月六日大法廷判決刑集九巻四号八一九頁、同昭和三九年一一月一八日大法廷判決刑集一八巻九号五六一頁、同昭和四四年四月二三日大法廷判決刑集二三巻四号二三五頁、いずれも裁判官全員一致による判決)、右は確立した判例というべきであつて、現在、右見解と異なる見解を採用しなければならない特段の事情があるとは認められないのであるが、所論にかんがみ、本条が、憲法第二一条に違反しないと解する理由を以下に述べることとする。

公職選挙法第一四二条は、選挙運動のために使用する文書図画は法定の通常葉書の外は頒布することができないと定めて、表現の自由に対する制約を定めているが、表現の自由、とりわけ政治的表現の自由は、民主主義制度の核心をなすものであり、この実質的制約は常に独裁政治への危険をもたらすものであるから、その制約を設けるにあたつては、公共の福祉のためにやむをえない場合に限られ、かつ必要最少限度にとどめられなければならない。ところで、代表民主制の下では、公職の選挙は、主権を有する国民がその代表者を選出することにより政治に参加するための最も重要な過程であり、選挙が適正かつ公平に行なわれることは、国民の政治意思が正しく国政に反映されることを保障するための必要不可欠の条件をなすものといわなければならず、その適正、公平の確保は、選挙権を保障する憲法第一五条第一項に由来するものということができ、民主主義の維持、確保のための最も基本的な要請の一つであるといわなければならない。昭和二五年に制定された現行の公職選挙法は、選挙運動についても右の見地から種々の制約を加えているが、とりわけ、資力の乏しい者でも自由に立候補でき、真に国民の代表としてふさわしい者である限り、資力の差異にかかわらず当選の機会が平等に確保されるようにすることこそ、民主主義の原理にかなうゆえんであるとの認識にもとづき、いわゆる「金のかからない選挙」の実現を図ることが真に民主的な選挙を実現するのに必要不可欠であるとし、この基本方針のもとに選挙運動費用を一定限度に制限するにとどまらず、さらにそれを実効あらしめるため選挙運動自体について規制を加え、それにかわり、かつそれを補うものとして公営の選挙運動のための制度を設けて、選挙運動の機会の平等を図ることにしたものと解されるのである。「金のかからない選挙」は、比例代表制を含む政党本位の選挙制度でなく、個人本位の選挙制度を採用するところでは、国民の参政権の平等な行使を確保する見地から理念的にも、より重要性を帯びるもので、もし、選挙に多額の費用の支出を余儀なくされるならば、真に国民の代表としてふさわしい者であつても、立候補を断念しがちになつたり、資力に乏しい者が当選を得る機会において劣位におかれ、かような事実上の制約は主権者である国民の政治意思の形成にも好ましくない影響を及ぼし、選挙の適正、公平を害するおそれの生ずることは否定できない。公職選挙法第一四二条の定める選挙運動用文書の頒布の原則的禁止もかような要請にもとづくものと解することができるのであつて、もし、これらの頒布を自由に許す場合には、候補者の間において、文書図画の頒布による運動につき不当な競争を招き、そのために要する費用もいきおい多額にのぼることとなつて、資力の有無が選挙の結果を左右しかねないこととなるので、かような弊害防止のために右規定が設けられたものと解されるのである。なお、文書図画の頒布等の制限は、第二次世界大戦後の物資不足の特殊事情を背景として当初制定されたものであることは認められるが、その後もこれらの規定が存置されているのは、右の趣旨によるものと解することができる。

また、候補者のみならず、候補者と関係を有しない第三者のなす文書図画の頒布をも等しく規制した趣旨は、候補者のなす文書図画の頒布を禁止しても、候補者が第三者に資金を提供するなどの方法により、潜脱されることになりかねず、そのために本来自由とされるべき第三者の選挙運動に対しても、やむをえぬものとして規制を加えることにした趣旨と解されるのである。

もつとも、表現の自由の制約は必要最少限度にとどめられなければならないから、もし候補者の選挙運動費用を規制することにより、右の「金のかからない選挙」の実現が十分図られるのならば、かような表現の自由に対する直接的制約は許されないといわなければならないが、選挙運動費用の規制によるのみでは、申告された費用額の正確性を確認することには現実には困難な問題が存し、その潜脱が種々の形で行なわれることも予想されるため、それのみでは所期の目的を十分に達しがたいとの理由で、更に個々の選挙運動の規制に及んでいるものと認められ、選挙運動の現状に照らし、選挙運動費用の規制にとどまらず、選挙運動自体をも規制しようとすることについては、規制の目的との関係で必要性を認めることができるのである。

そこで、表現の自由に対する右の規制が公共の福祉のためにやむをえないものと認められるかにつき検討する。代表民主制の下での選挙における表現の自由は、選挙人が、真に国民の代表者としてふさわしい候補者が誰であるかを判断し選択するうえで欠くことのできないものであり、他方で、既に述べたように選挙の適正、公平の確保のための「金のかからない選挙」の実現も、重要な法益であつて、いずれも国民主権にもとづく政治を名実ともに実現するために不可欠であり、かつ、文書図画の頒布の規制においては両者の要請は相対立するものとして現われるのであるが、かかる場合においては、表現の自由の制約がどこまで許されるかは、その制約が、特定の内容の表現を一切禁止するのでなく、表現の手段方法に対する制約であることをもあわせ考慮すると、いわゆる比較衡量の基準によるべきであり、文書図画の頒布の制限により達成される選挙の適正公平の確保という利益と、そのために表現の自由が制約されることによつて生ずる害悪とを比較衡量することにより、表現の自由に対するやむをえない制約と認めうるか否かを決定するほかはないと思料する。ところで、「金のかからない選挙」の実現をいかなる方法で、いかなる程度まではかるべきかは、第一次的には立法者の選択に属する事項といわなければならない。なぜなら、いかなる選挙のあり方が国民の意思を最も正しく国政に反映しうるかについては多様な考え方が存しうるからである。現行の公職選挙法についていえば、経済的に貧困なものであつても、国民の代表者として選挙される可能性において、経済的にはるかに豊かなものと、できる限り等しくされなければならないという点を重視し、選挙に要する費用は最少限にとどめようとする考え方が基調をなしているということができる。かような考え方の当否については種々の議論の余地のありうるところであろう。しかし、右の考え方が、国民主権の下における選挙のあり方として合理的なものであることについては疑問の余地はない。それ故、右の考え方にもとづく選挙運動の方法および程度についての規制が、その規制目的に照らし必要かつ合理的と認められる範囲のものである場合には、他に許される選挙運動の方法等により候補者の政見を選挙人に周知させる機会を十分に保障されていて、かかる規制のために選挙人の投票における意思形成が賢明になされることが困難になるおそれが生ずる程度にまで至らない限りにおいては、これを立法府の裁量の範囲内に属するものと認めるのが相当である。

そこで、公職選挙法において、衆議院議員選挙のための表現手段として認められているものについてみると、各戸別に配布される選挙公報、立候補届出後の立会演説会、法定の通常葉書(二万五、〇〇〇枚)、一定の掲示場に掲示の許される法定のポスター、ラジオ、テレビの経歴放送、ラジオの政見放送(本件当時はテレビについては行なわれていなかつた)等の公営による選挙運動の制度、一定範囲の個人演説会、街頭演説、連呼行為、一定範囲の新聞広告等が認められ、一般市民についても個々面接による運動等が許されているが、選挙運動の許容される範囲はかなり狭められているとはいえ、選挙運動期間前における選挙運動にあたらない政治活動は候補者となろうとするものであつても自由とされていること等を考慮すれば、選挙人が以上の方法により候補者の政見その他について十分に知る機会を確保されているものと認められ、投票についての賢明な意思形成をなすことが困難となるおそれが生ずる程度に至るまで選挙運動が制約されているものとは認めることができないというべきである。そして既に述べたように、選挙運動費用の規制のみでは足りず、選挙運動のために使用する文書図画の頒布についても制約を設ける必要が認められ、候補者のみならず第三者の頒布をも規制する必要が存し、またかかる規制もやむをえないものと認められるのであり、さらに、頒布をどこまで禁止すべきかについては、「金のかからない選挙」の実現をどこまで図るべきかの問題であつて、立法府の裁量の範囲に属する問題と認められること等を総合して考慮すれば、法定の通常葉書以外の文書図画の頒布の禁止も、なお、選挙の適正公平を確保するためにやむをえないもので、公共の福祉のためにやむをえない制約であると解するのが相当である。

それ故、公職選挙法第一四二条の規定は憲法第二一条に違反しないと解されるから、弁護人の主張は採用できない。

二  次に、弁護人は本件チラシは候補者以外の第三者の頒布になるもので候補者に出費を生じさせるものでなく、したがつて選挙における経済的不平等の弊害をもたらすものではなく、かつ労働組合の教宣活動として頒布したものであるうえ、棄権防止を主眼とし、他候補を中傷するものでもなく、候補者の氏名の記載もないから、かようなチラシ頒布に右法条を適用するのは、憲法第二一条に反する旨主張するが、右チラシが前記認定のように選挙運動のために使用する文書に該当し、かつ可罰的違法性が認められる以上、右法条の立法趣旨に照らし、その適用を違憲としなければならない理由はないというべきである。

よつて、以上の弁護人らの主張は理由がない。

第七  公職選挙法第一六六条第一号の合憲性について

一  弁護人らは、国、地方公共団体等の所有または管理する建物内における選挙運動のためにする演説および連呼行為の禁止を定める公職選挙法第一六六条第一号の規定は憲法第二一条に違反し無効の規定であると主張する。

ところで、右法条の規制目的は、国、地方公共団体等の所有または管理する建物内において選挙運動のための演説や連呼行為を許すこととすれば、それが建物の管理権者の許可の下になされる場合には、その裁量が特定候補者や特定政党の利益に偏し、その結果、これらの建物、施設の選挙運動のための利用が公平に行なわれないこととなつたり、かような外観を生ずるおそれがあり、建物の管理権者の許可なくして行なわれる場合にも、同様の外観を生ずるおそれがあり、本来選挙に関してはことに不偏不党で厳正中立を要求される国、地方公共団体等について、かような中立が害なわれ、あるいは害われる外観を呈するおそれがあり、選挙の公正についても疑惑を招きかねないこと、また喧噪にわたり建物内部における公務や、その利用者の利用の妨害を生ずることにもなることなどを防止することにあると解される。したがつて、建物の管理権者の許可を得て行なうか否かによつて何ら差異を生ずるものではなく、選挙運動のための演説等を特に規制しているのは国、地方公共団体等の選挙に関する中立の要請が高度に存するためであり、建物内におけるかかる行為の右中立および中立の外観をそこなう度合や公務等の妨害の度合が、その敷地等におけるものより高いと認めて、建物内に限定しているにすぎず、また対象となる建物から公務員住宅等を除外しないからといつて、仮にこれらを除外すべきであるとしても、例外的な場合にあたり、具体的な適用において除外を認めるか否かを検討すれば足るのであるから、広範に過ぎる規制を定めたものともいえない。そして、右規定は前記規制目的を達成するために合理的で必要最少限度の表現の自由に対する制約を定めたものと認められるから、憲法第二一条の表現の自由の保障に違反しない。

二  次に、右法条は、労働組合活動として通常許容される正当な行為が、たまたま組合員の勤務場所が国、地方公共団体等の所有または管理する建物であり、その結果その中で行なわれたというだけの理由で、その禁止に触れることとなる場合をも含み、憲法第二八条に違反する規定であり、仮にそうでないとしても本条を右の場合に適用することは憲法第二八条に違反するとの主張については、まず、右の如き場合を本条が含むからといつて、それが全体として違憲になる理由はないうえ、適用違憲の主張についても既に前記第三において述べた理由により理由がない。

そのほか判示第一、第二の各事実についての適用違憲の主張は、いずれも右法条の規制目的についての異なる見解にもとづくもので、理由がない。

(量刑の事情)

本件各行為は、いずれも地方公務員である仙台市職員により構成される職員組合の組合活動としてなされた選挙違反行為であるが、多数の構成員を擁する組織において行なわれた違反であることからして、その影響は大きいといわなければならず、それだけにかような組織における責任ある者や外部からこれを指導する立場にある者は、常に慎重な行動を必要とするにもかかわらず、職員組合の活動にことよせて本件の如き違反を犯した点は大いに責められなければならない。また、地方公務員の職員組合の違反行為として、地方公共団体の選挙に関する中立性にも疑惑を抱かせるおそれを生じかねないものであるから、通常の事件に比べ強い非難を加えられて然るべきである。

しかし、本件はいずれもいわゆる形式犯であり、買収事犯などの悪質な違反に比べれば一般に軽いものとして評価することができるものであるうえ、その犯行の態様についても、いずれも比較的控え目なものとみることができるものであり、ことに第三の法定外文書頒布の点は、一般にみられる選挙違反文書と比較すると、既に可罰的違法性の判断において述べたように頒布枚数が多数にのぼつた点を別とすれば、軽微なものに属するものである。

また、被告人奥山については、日本社会党所属の県会議員として主要な地位にあり、長期にわたつて県政に奉仕し、将来も政治家としての道を歩むべく期待される者であり、被告人鈴木喜次郎もその後市会議員としての活動を今日まで継続している者であり、その余の有罪とされる被告人も、すべて善良な市民生活を営んできている者であつて、いずれも軽率な行動は厳しく戒められなければならないけれども、それぞれの行為の動機、目的等において酌むべきものがあり、違法の認識の点においても、ことに判示第三の事実に関しては、これを許されると解していた者の存することも(刑事責任に消長を来すものではないが)窺われるのである。

本件は、昭和四二年に公訴提起がなされて以来、種々の事情から審理に満六年を要することとなつたのであるが、その間に二度の恩赦があつたこと、また、このように長期被告人としての立場におかれることによつて蒙つたと思われる不利益も決して小さなものではなかつたと推察されることなども、考慮される必要があると思料する。

その他諸般の事情を考慮したうえ、主文のとおり量刑するのを相当と認める次第である。

(被告人鈴木久一に対する公訴事実について)

被告人鈴木久一に対する本件公訴事実の要旨は、

被告人は、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に際し、宮城県第一区から立候補した佐々木更三の選挙運動者であるが、判示第三記載の相被告人らと共謀のうえ、判示第三記載の日時、場所において、右候補者に当選を得しめる目的をもつて、判示松本健二ほか約五、〇〇〇名に対し、「……市労連の推せんする候補者に家族揃つて投票しましよう。」などと、右候補に投票を求める趣旨のことを印刷した法定外選挙運動用文書を各一枚ずつ計約五、〇〇〇枚を頒布したものである。

というのであるが、前掲の判示第三の事実の認定に供した各証拠および被告人鈴木久一の当公判廷における供述を総合すれば、同被告人が、右公訴事実のとおり、法定外文書を頒布した客観的事実はこれを認めることができるが、同被告人は当公判廷において、右文書の頒布にあたり、内容を読まなかつたため、佐々木更三候補のための選挙運動の趣旨の記載がある文書であることを知らなかつた旨弁解しているところ、右文書には、前判示のとおり、問題の「市労連の推せんする候補者に家族揃つて投票しましよう」との文言は目につき易い状態で記載されているものではなく、一見しただけでは、棄権しないよう呼びかける文書と見えるものであること、同被告人の当公判廷における供述によれば、同被告人は当日午後三時ころ、家族慰安会に妻と共に出かけた際右文書を頒布していた友人が疲れたように見えたので、頒布をかわつて引受け、五分間位、午後の部の開幕直前に、前記スポーツセンター入口付近で、二、三枚程度頒布したにすぎないことが認められることを考慮すると、被告人の右弁解は信用しうるものであり、したがつて犯意の証明がないことになるから、刑事訴訟法第三三六条により被告人鈴木久一に対し無罪の言渡しをする。

よつて、主文のとおり判決する。

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